世界タイトルを獲得できた暁には、ある人をリングに上げて伝えたい事がありました。
ボクサーとしてのはじまりは、ただがむしゃらに駆けただけかもしれません。
しかし2012年8月9日。
日本タイトルを手にした時に、ボクシングを通して何を伝えたかったのかが、それまでやって来た事の意味として繋がり鮮明に自身に降りて来ました。
デビューから23戦目、初の日本タイトル挑戦の時に、その人は初めて私の試合を観に来てくれました。
明確になった気持ちを抱いてから2018年の8月25日まで6年、やっとその思いを伝えられると踏んだ世界挑戦はたった138秒での幕切れ。
伝えるべき場所を見失い、果たしてボクシングを通して伝えたい事だったのか何なのかも分からず、その後も現役続行や引退については明確にしないまま、最後の試合から3年となる8月25日を先日迎えました。
プロボクシングは現ルールでは37歳で定年。その時点でランキング入りを果たしている選手やタイトル獲得経歴者には免除が許されますが、最後の試合から3年の間隔が開くと自動的にリングに上がる資格は消滅します。
この2021年の8月25日がその3年に当たりました。
3年前の時点で事実上は引退でしょう。しかし目的があって現役を続けて来た私は、何とかその場所を見つけたかったので考え悩みました。
さらに追い討ちをかける様にコロナ禍の影響もあり止まらざるを得なかったこの期間。
それでも、だからこそ得たものがありました。
それは家族というもの。
もともと私は、ボクシングに関係なく家庭を持つというビジョンを持ち合わせていませんでした。
しかし最後の世界挑戦の数日後、私の生き方に何も触れて来なかったその人が、初めて業を煮やした様に口を開いた事がありました。
子供はどうするんだ、と。
私自身に対してそういった感覚を持っていた事に驚きました。「自分1人の人生を自由に生きていくんだろう。」そう思われているという認識だったので。
約25年ほど前、私が高校に上がるくらいだったと思います。
私はその人を「殴る」という愚行を働いてしまいました。
私の手記を読んでくれている方にはお分かりかと思いますが、実父鉄男(本名、政行)に対してです。
当時今の私の年齢と変わらない親父の頬は、子供の私のものとは違うザラザラと乾いた質感だった事を今でも鮮明に覚えています。
親父はその日から1週間、仕事へも行かず一室に篭り動きませんでした。
実の子に手を上げられた心痛は、当時の私にすら感じる程滲み出て、家族を取り巻いていました。
それからこの事について触れた事は家族の誰一人、一度もありません。
15歳のその時から残っている私の右拳の感触は、ボクシングを志しても世界挑戦のその時になっても、消える事はありませんでした。
親父が初めて試合を観に来てくれた日から、自分を殴った事のある拳を振るう我が子に、親父が何を感じているのか私は気になる様になりました。
それまで特に何とも思わず過ごして来たのに、試合を観に来る様になった親父の心中を思い、当時の記憶が蘇る様になりました。
だから。世界タイトルを獲る事が出来たら親父をリングに上げて詫びを。
けれどしんみりした雰囲気になる嫌いもあるし、遅まきながら始めたボクシングだったけど、丈夫に育ててくれたお陰でここまで来れたよと、礼を伝えたいと思い描きボクシングを続けて来ました。
しかし大切な事はそんな事ではなかったのかもしれませんね。
親父の言葉の通り子供を授かる事が出来た私は、今度は父親の気持ちを知る事になりました。
生命が宿ったと分かった時。妻のお腹の中で元気に生きてくれてる様子。産声を上げこの世に無事誕生してくれた時。泣いたり笑ったり怒ったり、成長を楽しませてくれる子という存在。
周りがどんな気持ちで見守ってくれて、自分がどんな風に生まれ育って来たのかを、子を持たない頃よりも痛切に感じる様になりました。
その時に初めて「負けて良かったのかも」と思いました。でなければ私は、自分の思い通りの道を進んでいたと思うし、家庭を持とうとも考えなかったでしょう。
夢を叶えリング上でこれまでの感謝を伝える事よりも、親になる事で親父の痛みを少しでも理解できた事を、今は快く受け止めています。
伝えようとする場に、これまで固執し過ぎていたのかもしれません。
出来れば面と向かって話したかった。
しかしコロナ禍の影響で両親と顔を合わせる機会もめっきり。
2人とも私の手記を楽しみに見てくれている事もあり、今回この様な形となりましたが、文面に起こして気持ちを整理し感謝を伝える事にしました。
親父。いやお父さんかな。
まともに両親の事を呼んでいた頃の記憶が朧げです。
お父さん、お母さん。元気に丈夫に育ててくれてありがとうございます。
これからも健康で長生きして下さい。
まだまだ楽しい時間を一緒に作って行きましょう。
そして今さらかもしれませんが、これまでしっかりお伝え出来ていなかったのでこの場を借りてご挨拶を。
ここまでプロボクサーとしての大竹秀典を応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。
何も無いところからのスタートでしたが、たくさんの皆様に応援していただけた事が本当に嬉しく力となりました。
新たな道を再び挑戦者として歩んで参ります。
最後に「家族」を教えてくれたボクシングへ。
心からありがとう。